2025年7月19日(土)に庄内町清川歴史公園を起点にして「庄内町フットパスin清川」が開催されました。

元禄2(1622)年6月3日におくのほそ道の旅の途中、松尾芭蕉と河合曾良が最上川から上陸して羽黒山へ向かったとされ、新暦では7月19日にあたるこの日に開催されました。

江戸庄内道中記

この日は午前8時30分に集合。
まず最初に清川関所館内の絵図「江戸庄内道中記」を解説しました。道中記に描かれた清川関所から狩川付近の様子から、北楯大堰に沿って街道が通っており、芭蕉と曾良ふたりもこの道を歩いたであろうと考察しました。

清川歴史公園

続いて「芭蕉上陸の地」の芭蕉像や歌碑を見学。県内のゆかりの地にある芭蕉像やモデルは誰なのか?についてガイドさんが説明しました。

御諸皇子神社

清川の本町通りから小路に入って御諸皇子神社へ。源義経と武蔵坊弁慶ら一行が平泉へ逃れる途中、一夜を過ごしたことが「義経記」に記されています。義経らに関心を持って「おくのほそ道」の旅をしていた芭蕉が立ち寄ったことも推測されます。

御諸皇子神社

隋神門の左右に安置されている金剛力士像を見学して、報恩坂の石段をのぼって本殿へ。

庄内町フットパスin清川

建物内には義経や弁慶を描いた絵馬が掲げられています。

北楯大堰

御諸皇子神社を後にして、北楯大堰に沿って歩きました。

北楯大堰

最上義光の家臣・北楯大学助利長が指揮をとって建設された「北楯大堰」は、慶長17(1612)年3月から7月まで約4か月で、清川から三ヶ沢まで約10kmの工事が完成。
荒地を美田に変えて「米どころ庄内」をつくる大きな役割を果たしています。改修しながら現在まで活躍する北楯大堰、平成23年に世界かんがい施設遺産に登録されました。

殉難十六夫慰霊塔

工事の際に発生した土砂崩れの犠牲になった十六人を弔う「殉難十六夫慰霊塔」の石碑。芭蕉たちが訪れた時にはこの石碑はありませんでしたが、地元の方から難工事の話を聞いたのかもしれません。

新町KOJIYA

帰りに立ち寄った休憩スポット「新町KOJIYA」座敷には、おくのほそ道の「月山」や「平泉」の部分をモチーフにした作品などが展示されています。

新町KOJIYA

「雲の峰 幾つ崩れて 月の山 芭蕉」

次回は秋に開催

最後は午前10時30分に清川関所に戻ってフットパスは終了しました。ご参加いただきた皆様、お疲れ様でした。次回は秋に開催予定。
詳細については改めて紹介いたします。